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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1397号 判決 1969年10月03日

主文

被控訴人が東京都豊島区南池袋一丁目二〇番三宅地四九坪一合九勺につき普通建物の所有を目的とし期間の定めのない賃借権を有することを確認する。

第一、二審の訴訟費用は控訴人等の負担とする。

事実

被控訴人訴訟代理人は、当審に至り、原判決主文第一項掲記の換地予定地に対する使用収益権の存在確認を求める従前の訴を交換的に変更し、本判決主文第一項同旨並びに訴訟費用は第一、二審とも控訴人等の負担とする旨の判決を求め、控訴人等訴訟代理人は被控訴人の新請求を棄却する旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張および証拠の関係は以下第一ないし第三のとおり付加訂正する外原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する(但し、原判決別紙目録(三)記載の建物の家屋番号を「甲一〇〇〇番五」と訂正する。)。

第一、被控訴人訴訟代理人の陳述

一、原判決主文第一項掲記の東京都豊島区雑司ケ谷町七丁目一〇〇〇番ノ四宅地七三坪五合四勺(以下「一〇〇〇番ノ四土地」という。)を従前の土地とし、東京都豊島区南池袋二〇番三宅地四九坪一合九勺(以下「本件土地」という。)を換地とする換地処分が確定し、公告を了したので、一〇〇〇番ノ四土地に対する原判決主文第一項掲記の換地予定地(以下「本件換地予定地」という。)の使用収益権の存在確認を求める従前の請求に替えて、被控訴人が本件土地につき普通建物の所有を目的とし期間の定めのない賃借権を有することの確認を請求する。

二、被控訴人が沖山武躬(原審被告)から原判決別紙目録(一)記載の建物(以下「本件(一)建物」という。)の譲渡を受けたのは次のような経緯による。即ち、武躬は終戦後間もなく株式会社八島興業所を設立し、その代表者となり、機械据付、配管、給水タンク設置等の請負事業を営むようになつたが、右事業につき被控訴人の協力を求めたので、被控訴人はこれに応じて右会社の監査役に就任し、会社運営資金の調達、庶務会計事務、従業員の賄い等の仕事をすべて無報酬でなした外昭和二〇年から同二五年までの間武躬に対し五〇万円以上の事業資金を貸与する等諸般に亘る協力をなしたので、武躬はこれに報いる趣旨で被控訴人に対し無償で本件(一)建物を譲与したものである。

三、被控訴人は昭和二五年初頃本件(一)建物を取毀し、その跡地に原判決別紙目録(二)記載の建物(以下「本件(二)建物」という。右建物の所在地番は東京都豊島区南池袋一丁目二〇番三、家屋番号は二〇番三の一と変更された。)を新築した。本件(二)建物は、建築後、被控訴人の手で二回に亘り増築が施され、実測建坪二五坪三合一勺、二階二三坪四合一勺、屋根裏七坪七合五勺の建物となつている。他方、武躬は本件(一)建物を被控訴人に贈与するに先立ち、本件(一)建物に隣接して、延二四坪の二階建建物を建築し、右贈与と同時に右建物に移転した。右建物がその後増築されて原判決別紙目録(三)記載の建物(以下「本件(三)建物」という)。となつた。

四、被控訴人が武躬から本件(一)建物の贈与を受けるとともに一〇〇〇番ノ四土地中右建物の敷地部分の賃借権の譲渡を受け、昭和二五年七月一八日頃賃貸人の承諾を得たことは従前主張したとおりであるが、右承諾は賃貸人の一人たる控訴人村山保平から得たものである。右承諾の事実は控訴人村山が被控訴人から直接に昭和二六年一一月以降昭和二七年一二月分までの一〇〇〇番ノ四土地全部の賃料を受領したことによつても明らかである。そして、一〇〇〇番ノ四土地の賃貸人の他の一人たる訴外村山省次郎は昭和二一年以来伊豆大島に定住している関係から右土地の管理処分については控訴人村山に一切を委託していたものであつて、控訴人村山の前記賃借権譲渡に対する承諾および賃料の受領は一面において村山省次郎の代理人としてなしたものである。

五、一〇〇〇番ノ四土地を含む付近一帯の土地区画整理の施行に伴い、右土地の換地予定地四九坪一合六勺(本件換地予定地)中二六坪八合については被控訴人に対し、二二坪三合八勺については武躬に対しそれぞれ使用区分の指定通知がなされ、武躬に対しては別に同人がその一部につき賃借権を有していた訴外宮城千恵所有の雑司ケ谷町七丁目九七七番ノ一宅地一二一坪七合七勺(以下「九七七番ノ一土地」という。)の換地予定地六八坪四合中六坪の使用区分の指定通知がなされた。しかし、右使用区分に従うときは使用上不便を生ずることが予想されたので、被控訴人および武躬は、昭和二七年一一月中旬、記九七七番ノ一宅地の換地予定地中四四坪七合につき使用区分の指定通知を受けた訴外葉山一夫と協議した結果、被控訴人は本件換地予定地全部、武躬は前記九七七番ノ一土地の換地予定地中五〇坪七合(武躬の使用区分六坪、葉山の使用区分四四坪七合の合計面積に相当する。)につきそれぞれ使用区分の変更指定を受けるべきことを協定し、これを昭和二八年二月一三日付和解契約書に記載し、同日土地区画整理事務所に対し上申書とともに右和解契約書を提出し、右協定の内容に添うよう土地区画整理を施行されたい旨上申した。武躬は、右協定をなす際、被控訴人に対し一〇〇〇番ノ四土地全部の賃借権を譲渡し、その頃控訴人村山も、本人兼村山省次郎の代理人として、右賃借権の譲渡を承諾した。さればこそ、武躬は昭和二七年一二月一四日被控訴人に対し一〇〇〇番ノ四土地の賃借権譲渡を確認する旨の書面二通を作成交付し、昭和二八年二月一二日被控訴人から賃借権譲渡代金三〇万円の支払を受けたのであり、控訴人村山も同月二六日被控訴人および武躬と連署した借地権異動届を土地区画整理事務所に提出するとともに、その頃被控訴人から名義書換料の一部として金一万円の支払を受けたのである。そして、前記協定の際被控訴人および武躬が葉山に対し支払を約した使用区分放棄の代償金二〇万円は被控訴人がその全額を葉山に支払つた。

六、土地区画整理事務所は前記上申を受理し当事者間の和解の趣旨を諒承し、それに則して土地区画整理を施行した。

第二、控訴人等訴訟代理人の陳述

一、被控訴人の前記第一の二の主張事実中武躬が株式会社八島興業所を設立したこと、被控訴人が右会社の従業員の賄いの面倒をみたことは認めるが、その余の事実は否認する。右会社は被控訴人に対し給料を支給していた。

二、被控訴人の前記第一の三の主張事実中本件(二)建物の所在地番、家屋番号の表示変更の事実および武躬が本件(三)建物を建築した事実は認めるが、その余の事実は否認する。本件(一)建物は武躬の所有であり、同人がこれを取毀したことはない。武躬は本件(一)建物につき二回に亘つて増改築を加えて今日に至つたものである。

三、被控訴人の前記第一の四の主張事実は否認する。仮に被控訴人が控訴人村山にその主張の賃料を支払つたとしても、それは一〇〇〇番ノ四土地の賃借人たる武躬のための管理行為としてなしたにすぎない。

四、被控訴人の前記第一の五の主張事実中被控訴人、武躬および葉山が本件換地予定地および九七七番ノ一土地の換地予定地上に被控訴人主張のような使用区分の指定通知を受けたこと、武躬が九七七番ノ一土地の一部に賃借権を有していたこと、武躬が被控訴人主張の和解契約書、上申書の作成に関与したこと、被控訴人がその主張の頃控訴人村山に対し金一万円を交付したことは認めるが、その余の事実は否認する。一〇〇〇番ノ四土地および九七七番ノ一土地の一部(武躬の使用区分六坪、葉山の使用区分四四坪七合に対応する部分)はすべて武躬の賃借地であつたが、被控訴人は一〇〇〇番ノ四土地上に在る本件(一)建物に居住し、また葉山は土地区画整理施行の時は直ちに建物を取毀して敷地を明渡す約定の下に武躬から一時的に九七七番ノ一土地の武躬賃借部分の一部の使用を許されて建物を所有し、それぞれ当該土地を占有していた関係から使用区分の指定通知を受けたにすぎないのであつて、右使用区分の指定は被控訴人および葉山が当該土地につき賃借権を有していたからなされたのではない。前記和解契約書および上申書は当初の使用区分の指定に従うときは被控訴人および武躬が本件(三)建物の相当部分を除却しなければならないところから、除却を免れる方便として作成提出したものにすぎず、武躬がかかる書面の作成に関与したからといつて、武躬において本件(一)建物が被控訴人の所有であることを確誌したり、あるいは被控訴人が一〇〇〇番ノ四土地につき賃借権を有することを確誌したわけではない。仮に武躬が被控訴人に対し賃借権譲渡を確認する旨の書面を作成交付したとしても、右も前同様の方便として土地区画整理事務所に提出させるためにしたことにすぎない。

五、被控訴人の前記第一の六の主張事実は争う。

第三、証拠関係(省略)

理由

一、一〇〇〇番ノ四土地の賃貸借の成立

沖山武躬(原審被告)が昭和二一年一一月三〇日控訴人村山保平の先代亡村山乙松から同人所有の一〇〇〇番ノ四土地を普通建物所有を目的とし期間を定めないで賃借し、その一部の上に本件(一)建物を所有していたこと、乙松が昭和二三年一二月六日死亡し、控訴人村山と訴外村山省次郎が共同相続により右土地の所有権並に賃貸人としての地位を承継したことは当事者間に争いがない。

二、本件(一)建物敷地の賃借権譲渡の有無

被控訴人は昭和二四年五月頃武躬から本件(一)建物の贈与を受け、これに伴い右建物の敷地の賃借権を譲受けたと主張し、控訴人等はこれを争うので、以下に判断する。

(一)  成立に争いのない甲第二、第八、第九号証、第一〇号証(乙第七号証)、第一一号証の一、二、第二三、第二九号証、乙第一一、第四二、第五三、第九五、第九六号証、第一〇二号証の二、六、原本の存在並に成立に争いのない甲第二五、第二六号証の各二、第二七号証の三、原審証人沖山右左治の証言により成立を認めうる甲第一二号証、第一三号証の一ないし五、公署作成名義部分の成立に争いなく、前掲乙第一〇二号証の六の記載によりその余の部分の成立を認めうる乙第九一号証の一、二に原審証人沖山右左治、同沖山伝、同村山節の各証言、当審における控訴人村山保平、原審および当審における被控訴人各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1、被控訴人と前記武躬は父を同じくする兄妹であつて、武躬は終戦前後頃から給排水装置等の設計並に工事請負、電気器械据付工事請負等を業とし、終戦後右事業を目的とする株式会社八島興業所を設立し、その代表者として右会社の経営を主宰していたが、被控訴人は終戦後武躬からその事業への協力を依頼され、右会社設立時にはその監査役に就任するとともに事実上会社の経理をも担当し、資金調達に奔走した外従業員の賄いの仕事まで引受け、更には武躬の事業に対し相当額の自己資金を融資する等並々ならぬ尽力を続けた。これを多とした武躬はかねて本件(一)建物を被控訴人に贈与する内意を有していたが、昭和二四年五月頃、前記借地上に本件(一)建物に隣接して本件(三)建物(当初の床面積等については後述する。)を建築して同建物に移転する機会に、被控訴人に対しその長期間に亘る労苦に報いる趣旨で本件(一)建物を贈与した(武躬が株式会社八島興業所を設立したこと、被控訴人が右会社の従業員の賄いの仕事を引受けたこと、武躬が本件(三)建物を建築したことはいずれも当事者間に争いがない。)。

2、被控訴人は本件(一)建物の贈与を受けてから約一年間はこれを第三者に賃貸していたが、より手広く貸間業を営むことを企画し、昭和二五年三月当該借家人から本件(一)建物の明渡を受けた上、同年四月中訴外沖山右左治に請負わせて、本件(一)建物の二階西南部に位置する縁側と八畳座敷の一部および西側の下見板張外壁の部分を当初の構造のままに残した外は同建物の主体部分を殆んど取毀し、右建物につき新築同様の大規模な増改築を施工し、同年八月頃貸間一三室を有する木造モルタル塗瓦葺二階建居宅一棟建坪二三坪七合五勺、二階二一坪二合五勺の建物として完成した。

3、右増改築につき、被控訴人は建築申請手続上は本件(一)建物の増築という形式をとり、当初は武躬の建築主名義で建築申請および臨時建築制限規則による届出をなし、昭和二五年七月一三日東京都知事の許可を得たが、次いで、武躬と連名の同月一八日付届書を以て建築主を被控訴人に変更する旨の届出をなし、名実ともに建築主として工事を遂行した。ところが、本件(一)建物は家屋台帳上依然武躬名義のままになつていたのみならず、右増改築完成後である昭和二六年二月二八日に至り、本件(一)建物につき武躬の国税滞納に基づく差押処分執行のため豊島税務署長の嘱託により武躬を所有者とする所有権保存の代位登記がなされた。そこで、被控訴人は本件(一)建物は前記増改築の結果滅失したとの見解に基づき、昭和二六年一一月二〇日付で武躬の名義を以て本件(一)建物の滅失申告(「昭和二五年七月一八日滅失」を事由とする)をなし、これにより昭和二六年一二月二一日当該家屋台帳用紙は閉鎖されたが、右滅失申告についてはこれを代行した訴外佐藤統之が武躬の事後承諾を得た。そして、被控訴人は昭和二七年一月五日、増改築にかかる建物について改めて「昭和二六年一〇月一日新築」を事由とする建築申告をなし、昭和二七年一月二四日家屋台帳への登録を了し、次いで、同年二月二二日所有権保存登記を経由した(これが本件(二)建物である。本件(二)建物の所在地番、家屋番号が、その後、東京都豊島区南池袋一丁目二〇番三、家屋番号二〇番三の一と変更されたことは当事者間に争いがない。)。

4、本件(二)建物は、被控訴人によつてその後増築が加えられ、土地区画整理に伴う移転により、ごく一部が除却された結果、現況は建坪二五坪三合一勺(出窓を含む。)、二階二三坪四合四勺一才(出窓を含む。)(以上の外に屋根裏利用の部分約八坪がある。)となつている。被控訴人は叙上3及び4の各建築工事の費用を全部自ら支払い、借間の賃料を収取し、また一〇〇〇番ノ四土地の賃料として昭和二七年五月一三日に昭和二六年一一月以降昭和二七年四月分までの賃料合計一万一、〇三一円(月額一、八三八円五〇銭)、同年一一月一三日に同年五月以降一二月分までの賃料合計一万四、七〇八円(月額上同)をいずれも取立にきた控訴人村山保平に支払い、また、建物の固定資産税を納付する等本件(二)建物に関する諸般の管理を行なつて現在に至つている。

(二)  右認定に反する証拠に対する判断は次のとおりである。

1  前掲乙第五三、第九六号証、第一〇二号証の二、六、成立に争いのない乙第四八、第五四、第五八、第九九、第一〇〇号証、第一〇一号証の一、二その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第九七号証と当審証人沖山武躬の証言によれば、東京都豊島税務事務所には家屋課税補充台帳として、(イ)東京都豊島区雑司ケ谷町七丁目一〇〇〇番所在家屋番号二〇番ノ八住家に関するものと(ロ)同番所在家屋番号甲一〇〇〇番ノ五住家に関するものとが備付けられていたこと、当初(イ)の台帳上の住家は床面積三八坪一六、事由「新 昭和二五、八」、所有者浅沼ふなとして、また(ロ)の台帳上の住家は床面積三八坪一六、事由「新 昭和二五、八」、所有者浅沼ふなとしてそれぞれ登載されていたこと、(イ)の台帳上の右住家は床面積こそ異なるが本件(一)建物に該当し(床面積の違いの由つて来る所以は如何、また本件(一)建物について昭和二五年八月当時既に家屋台帳が調製されていなかつたか、もし家屋台帳が調製されているとすれば、豊島税務事務所には家屋課税台帳として右家屋台帳の副本が備付けられるべきであるのに家屋課税補充台帳が備付けられていたのは如何なるいきさつによるものであるか等は証拠上詳らかにしえないが、前掲証拠によれば豊島税務事務所が本件(一)建物につき(イ)の家屋課税補充台帳に前示のような登録をした事実は殆んど動かしえないところである。)。(ロ)の台帳上の住家は本件(三)建物に該当すること(本件(三)建物は建築当初延二四坪であつたが、昭和二五年九月一一日増改築の許可((許可は増築部分延三八坪一合六勺、改築部分延二四坪につき与えられている。))を得て、これに施行し、延三八坪一合六勺の面積となつた時期がある。建築申請における建築主名義は、原始建物につき、初めは武躬、次いで浅沼智津子((被控訴人の別名))に変更届がされ、また右増改築申請においては、初めは浅沼智津子、次いで浅沼ふな、更に沖山寿美子に順次変更届出がされている。)、東京法務局板橋出張所は前認定の被控訴人の本件(二)建物の建築申告に基き家屋台帳の登録をするとともに東京都豊島税務事務所に対し登録事項の通知をしたので、右税務事務所は(イ)の台帳中既登載の建物の床面積三八坪一六の部分のみを抹消した上、次行に本件(二)建物の床面積、事由、登録、登記年月日を記入し、事後(イ)の台帳を本件(二)建物の家屋課税台帳として転用したことが認められる。ところで、当審証人沖山武躬は右(イ)(ロ)の家屋課税補充台帳に同一床面積、同一事由の建物が登載されていた時期があつたことに依拠し、「(イ)の台帳上家屋番号二〇番ノ八住家床面積三八坪一合六勺として登録されていた建物は実在しないか、または本件(三)建物((ロ)の台帳上の建物)と同一建物であり、従つて家屋番号二〇番ノ八住家床面積三八坪一合六勺なる建物に関する登録は実体を伴わない登録か、または二重登録である。しかるに、被控訴人は、武躬の手により増築された本件(一)建物の所有権保存登記名義を取得するために自己が家屋台帳上に所有者として登録されている者であるとの外形を作出する必要に迫られるや、(イ)の台帳上家屋番号二〇番ノ八住家床面積三八坪一合六勺として登録されている建物が(ロ)の台帳載記の本件(三)建物と床面積を同一にするのを奇貨として、手許にあつた本件(三)建物の建築許可書(当時の建築主名義人は浅沼ふな)に本件(一)建物の建築申請届を添付し、これを建物所有権の証明として提出し、増築された本件(一)建物が(イ)の台帳上家屋番号二〇番ノ八住家床面積三八坪一合六勺として登録された建物の増築によるものである旨虚偽の申告をなし、これにより本件(二)建物の家屋台帳への登録を了した。」旨供述する。しかし、前記認定に供した証拠に照らすと(イ)の台帳上家屋番号二〇番ノ八住家床面積三八坪一合六勺として登録された建物が実在しない建物または本件(三)建物と同一建物であるとの供述部分はそのまま信用することはできないのみならず、被控訴人が本件(二)建物の登録のために建物所有権の証明手段を提出するに当り、同証人の供述するような手のこんだ作為を弄したことを肯認させるに足りる適確な書証その他の証拠も見出せないから、結局前記証人沖山武躬の供述は信用できないとしなければならない。右供述と趣旨を同じくする前掲乙第一〇二号証の二、六、成立に争いのない同号証の一二の供述記載、原審における控訴人沖山シマの供述もまた採用できない。

2  本件弁論の全趣旨によれば、本件(一)建物に対する増改築完成後である昭和二六年二月二八日に本件(一)建物につきなされた武躬名義の所有権保存登記は、豊島税務署長において本件(一)建物が家屋台帳上所有者を武躬としてそのまま登録されていたので、差押の目的を以て、現場調査をしないで代位による保存登記の嘱託をした結果なされたものであることが窺われるから、該登記の存在は前記(一)の認定を妨げるものではない(なお、前掲甲第二九号証によれば、差押の登記は昭和三〇年五月二五日に至り差押解除を原因として抹消されていることが明らかである。)。

3  以上の外前記(一)の認定に反する前掲乙第一〇二号証の二、および同号証の四、八、一〇(いずれも成立に争いがない)は前記(一)の認定に供した証拠に照らし採用できず、成立に争いのない乙第一四号証の一ないし六は前記(一)の認定を妨げるものではなく、原審証人沖山文璋、原審における控訴人沖山シマの各供述、沖山武躬の原審における被告本人としての、当審における証人としての各供述も前記(一)の認定に供した証拠に照らし信用し難く、他に前記(一)の認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  そして、前記(一)の認定事実によれば、本件(一)建物は武躬から被控訴人に贈与されたものであり、右建物は所有者たる被控訴人が増改築して本件(二)建物としたものであるから、右増改築の規模態様に照らし両者の間に同一性が認められると否とに拘らず、本件(二)建物が被控訴人の所有に属するものであることは疑いがない。そして、他に特段の事情が認められない限り、本件(一)建物の贈与によりその所有権が武躬から被控訴人に移転するに伴い、武躬は被控訴人に対し本件(一)建物の敷地の賃借権を譲渡したものと認めるのが相当である。更に、被控訴人と武躬の身分関係、本件(一)建物贈与の動機、本件(一)建物増改築の必要等に関する前記(一)の認定事実、武躬の当初の借地面積(七三坪五勺四合)からとすると右地上に本件(二)建物(建坪二三坪七合五勺)の敷地利用を許しても残地四九坪七合九勺が武躬に留保されること、被控訴人と武躬との不和は後日土地区画整理の施行される頃以降に生じたこと(この点は後記五、(一)、3参照)、控訴人村山が前認定のとおり二回に亘り昭和二六年一一月以降昭和二七年一二月分の一〇〇〇番ノ四土地の賃料を被控訴人から直接支払を受けたのは控訴人村山が武躬方に賃料取立に赴いた際武躬の妻が被控訴人から支払を受けるようにと申入れたことに基づくものであつたこと(この点は当審における控訴人村山本人尋問の結果によつて認める。)等諸般の事実に徴すれば、本件(一)建物が増改築されて本件(二)建物となつた際、武躬は右増改築を黙認することにより被控訴人に対し本件(二)建物の敷地中前回の賃借権譲渡の範囲を超える土地部分の賃借権をもまた被控訴人に対し暗黙にこれを譲渡したと認められるのが相当である。以上の認定に反する原審における控訴人沖山シマの供述は信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

三、地主の承諾の有無

前掲乙第一一号証、公署作成名義部分の成立に争いがなく、原審における被控訴人本人尋問の結果によりその余の部分の成立を認めうる甲第一号証に原審および当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。控訴人村山は被控訴人が本件(一)建物の増改築(建築申請手続上は増築)につき武躬名義で建築申請をするに当り一〇〇〇番ノ四土地を建物敷地として使用することを承諾する旨の昭和二五年四月一八日付村山乙松名義の承諾書を交付し、更に被控訴人および武躬が前記建築主変更届を提出した当時にも右同様の承諾書(右変更届にあると同一の東京都豊島区役所の昭和二五年七月二〇日付収受印が押捺されている。)を交付した。右各承諾書は関係書類とともに東京都知事に提出された。当時一〇〇〇番ノ四土地の前所有者村山乙松は既に死亡し、控訴人村山と村山省次郎(控訴人村山の弟)両名が右土地の所有権および賃貸人たる地位を承継していたが、省次郎は多年に亘り伊豆大島の開拓地に定住して農業に専心していた関係上、一〇〇〇番ノ四土地の賃貸その他管理に関する一切を控訴人村山に委託していた。被控訴人も武躬も控訴人村山が右委託に基いて一〇〇〇番ノ四土地を管理していることは知悉するところであり、控訴人村山の行為は省次郎を代理する側面をも有するものと諒解していた。このような実情の下において、控訴人村山は一面省次郎の代理人として前示のとおり一〇〇〇番ノ四土地中本件(二)建物の敷地部分を使用することを承諾したものである。

右認定事実によれば、控訴人村山は被控訴人名義の建物増改築(形式上は増築)につき右土地使用の承諾をなすことにより武躬から被控訴人に対する本件(二)建物の敷地の賃借権譲渡につき予め承諾を与えたものと認めるのを相当とする。

前掲甲第一号証、乙第一一号証によれば、前記二通の承諾書とも、使用承諾を与える土地の地積を四九坪一合八勺と表示していることが認められるが、右は一〇〇〇番ノ四土地を表示する方法として、後日右土地に対する換地予定地として指定されるべき土地の地積(換地予定地の地積は最終的には四九坪一合六勺となつたが)を記載したものと認められるから、この点は前記認定の妨げとならない。また、右承諾書は、正確には、控訴人村山と省次郎の連署がなされるべきであるが、本件のように相続によつて不動産の共有者ないし共同賃貸人となつた者の一人が交通不便の土地に居住するため、当該不動産の管理に関する書面にその者の署名を求めるのに多少とも日時を要し、煩わしさを伴うような場合において、その者から管理の委託を受けている他の権利者が被相続人の名義で右書面を作成することは往々行われるところであつて、控訴人村山が前記承諾書を乙松名義で作成したのもこれに従つたものと理解すべきであるから、前記承諾書が乙松名義で作成された点も前記認定の妨げとならない。また、前記認定に供した証拠に照らすと、成立に争いのない乙第五号証、原審証人村山節の証言により成立を認めうる乙第二六号証は前記認定を左右するに足らず、前記認定に反する当審における控訴人村山本人の供述は信用できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

四、土地区画整理の施行と使用区分の指定通知について。

東京都知事が特別都市計画事業として一〇〇〇番ノ四土地を含む付近一帯の土地区画整理を施行し、右土地について昭和二七年四月八日所有者たる控訴人村山および村山省次郎に対し右土地および隣接土地に跨る四九坪一合六勺の本件換地予定地(別紙位置図参照)を指定し、そのうち二六坪八合を被控訴人の、二二坪三合八勺を武躬の各使用区分として指定し、その頃関係者に対しその旨の通知をしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一八号証の一、二、原審証人葉山一夫、同沖山伝、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第五号証(同号証中武躬名下の印影の真正なことは当事者間に争いがない。)によれば、被控訴人の使用区分は本件換地予定地の東側、武躬の使用区分は同じく西側に位置することが認められる(右使用区分の地積の合計は本件換地予定地の地積を二勺超過する計算となるから、本件換地予定地の指定処分もしくは各使用区分の指定処分の三者もしくはそのいずれかが地積表示の誤謬を犯したものと認めざるをえないが、本件に顕われた証拠を精査しても、右誤謬がいずれの処分に含まれているかを確定できない。しかし、いずれにせよ、右地積表示の誤謬はあるべき地積表示との間に微差を存するに止まり、しかも、関係者間に換地予定地または使用区分の所在、範囲が明瞭であつたことが前掲甲第五号証によつて認められるから当該処分の効力を左右するに足るものでない。)。そして、成立に争いのない甲第二四、第三三号証、原本の存在並に成立に争いのない甲第二六号証の三に原審証人渡辺五郎、原審および当審証人及川邦一の各証言並に本件弁論の全趣旨を総合すれば、前記土地区画整理の施行に当り、一〇〇〇番ノ四土地に関しては、その全部について武躬から賃借権の届出がなされたに止つたが、東京都第四復興区画整理事務所第一〇地区出張所の調査の結果一〇〇〇番ノ四土地上には武躬所有の本件(三)建物の外被控訴人所有の本件(二)建物が存在することが判明したこと、施行者側においては、被控訴人の本件(二)建物の敷地使用権原の有無を明瞭に認定できなかつたが、かかる場合にも被控訴人に対し建物移転を命ずべく、且その前提として本件換地予定地上に使用区分を指定すべきものとの見解に立つて前記使用区分の指定通知をなしたものであることが窺われる。右認定を妨げる証拠はない。

五、一〇〇〇番ノ四土地全部の賃借権譲渡の有無

(一)  右四掲記の事実に前掲甲第五号証、第一八号証の一、二、第二四号証、第二六号証の二、三、第三三号証、成立に争いのない甲第一五号証の一、二、第三四号証、当審証人沖山武躬の証言により成立を認めうる甲第三号証の一(武躬の署名の真正については当事者間に争いはない。)、沖山武躬の署名の真正につき争いなく、反対の事情を肯認しうる証拠がないから全部真正に成立したものと推定すべき甲第三号証の二、原審証人葉山一夫、同沖山伝、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第六号証、原審証人葉山一夫の証言により成立を認めうる甲第二一号証の二、原審証人沖山伝、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果により成立を認めうる甲第二二号証の一、二(同号証の二の武躬の印影の真正なことは当事者間に争いがない。)原審における被告沖山武躬本人尋問の結果により成立を認めうる乙第一七号証並に原審証人葉山一夫、同渡辺五郎、同沖山伝、同小島小三郎、原審および当審証人及川邦一の各証言、沖山武躬の原審における本人尋問の結果、当審における証言、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  昭和二七年当時武躬は一〇〇〇番ノ四土地の南側にあつた九七七番ノ一土地の一部について賃借権を有していたので、右土地に対する換地予定地六八坪四合中本件換地予定地の西側に接する部分六坪についても使用区分の指定を受けた(以上は右六坪の使用区分の位置の点を除き当事者間に争いがない。)従つて、武躬は一団の土地として本件換地予定地中の使用区分(二二坪三合八勺)と九七七番ノ一土地に対する換地予定地中の使用区分(六坪)を使用できることとなつたが、その所有の本件(三)建物が当初の延二四坪から遂次増築されていた関係上、これを同所に移転するには一部を除却しなければならず、被控訴人の場合も同様の事情であつた。その上被控訴人も武躬も既に東京都知事から建物移転命令を受けていた。そこで、被控訴人および武躬は、九七七番ノ一土地に対する換地予定地中武躬の使用区分六坪の西側に接する四四坪七合に使用区分の指定通知を受けた葉山一夫(同人が上記の指定通知を受けたことは当事者間に争いがない。)と数回に亘つて協議した結果、昭和二七年一一月中旬、三者間において、

「(イ) 被控訴人は本件換地予定地全部に本件(二)建物を移転し、

(ロ) 武躬は九七七番ノ一土地に対する換地予定地中武躬の使用区分と葉山の使用区分との合計五〇坪七合に本件(三)建物を移転する。

(ハ) 葉山は被控訴人および武躬のために自己の使用区分上の権利を放棄する。

(ニ) 以上(イ)ないし(ハ)を実現しうる土地区画整理施行上の措置を上申する。

(ホ) 武躬は被控訴人が一〇〇〇番ノ四土地の地主と直接の賃貸借契約をなすことを承諾する。

(ヘ) 被控訴人は武躬に対し右(ホ)項に対する報償金として三〇万円を支払う。」

旨の協定が成立した。被控訴人は右協定が成立した頃武躬に対し、右(ヘ)項に従い「土地代」名下に三〇万円を支払つた(現金で七万円を支払い、その余は武躬に対する立替金ないし貸金債権と合意相殺した。)

2  武躬は昭和二七年一二月半頃前記協定(ロ)に定めた五〇坪七合地上に本件(三)建物の移転を完了した。その頃、武躬は被控訴人に対し「村山乙松氏の土地は浅沼ふなに譲渡せることを証明する。使用権々は沖山武躬を通し浅沼ふなに於てするも異議なき事」(原文のまま)と記載し、拇印を押した昭和二七年一二月一四日付証書(右証書には後日被控訴人において武躬の印鑑証明書を貼付した。)および「東京都豊島区雑司ケ谷七丁目一、〇〇〇番地宅地七拾参坪五合 右地主村山保平氏より拙者が賃借中の右土地の借地権を貴殿に譲渡致したる事を証明します」としたためた同日付証書を作成交付した。

3  ところが、昭和二八年一月、いよいよ被控訴人が本件換地予定地上に本件(二)建物の移転を開始するや、武躬は本件(三)建物の採光が妨げられることを理由に右移転に異議を唱えるに至り、両者間に紛糾を生じ、土地区画整理の施行にも渋滞をもたらした。そこで、土地区画整理施行者側のすすめもあつて、被控訴人は再び武躬および葉山と協議した結果、昭和二八年二月一三日前記協定の内容を相互に確認することができたので、これを和解契約書の形に纒め、東京都知事宛上申書に添えて東京都第四復興区画整理事務所第一〇地区出張所長及川邦一に提出し、関係者の協定の内容に添つた使用区分の指定変更方を上申し、受理された。そして、被控訴人は昭和二八年三月一六日葉山に対し同人のいわゆる権利放棄の対価として、武躬の負担分一〇万円を含めて二〇万円を支払つた(武躬が右和解契約書、上申書の作成に関与したことは当事者間に争いがない。)。

(二)  右認定事実によれば、武躬は昭和二七年一一月中旬被控訴人および葉山と換地予定地の使用に関して協定を結び、その中で被控訴人が本件(二)建物を本件換地予定地上に移転すべき旨を定めた際、曽て譲渡した賃借権の範囲を更に拡張し本件換地予定地の従前の土地たる一〇〇〇番ノ四土地全部の賃借権を被控訴人に譲渡したものと認めるのを相当とする。

(三)  右(一)(二)の認定に反する証拠に対する判断は次のとおりである。

1  原審証人村山節の証言、原審における控訴人沖山シマ本人尋問の結果により成立を認めうる乙第二号証の二には武躬が一〇〇〇番ノ四土地の賃借人名義を控訴人沖山シマに譲渡するから承諾を求める旨の武躬および控訴人沖山シマ名義の昭和二七年一一月一日付文言およびこれを承諾する旨の控訴人村山名義の文言(日付なし)の記載があり、成立に争いのない乙第三四号証によれば昭和二八年一一月七日「東京都豊島区雑司ケ谷町七丁目壱千番の四宅地四拾九坪壱合六勺」について控訴人村山および村山省次郎を賃貸人、控訴人沖山シマを賃借人とし、期間を昭和二七年一一月一日から昭和四七年一〇月三一日までとする賃貸借契約が締結された旨の公正証書が作成されたことが認められる。しかし、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果に徴しても、昭和二七年四月換地予定地上の使用区分の指定通知がなされた後昭和二八年一二月一三日区画整理に関する上申がなされた頃までの期間における被控訴人と武躬の間柄は中途において若干の紛糾を生じた外概ね協調的であり、この間武躬は本件(二)建物が被控訴人の所有であることを当然の前提とし、如何にすれば限られた換地予定地上に右建物と自己所有の本件(三)建物をそのまま移転し、右土地を建物敷地として利用する相互の立場の調整を図りうるかに腐心していたことが看取できること、武躬が昭和二七年一二月一四日付で被控訴人に対し賃借権を譲渡する旨の書面を作成交付していることは証拠上殆んど動かしえない事実である反面昭和二七年一一月一日当時武躬が妻である控訴人沖山シマ(右身分関係は原審における控訴人沖山シマ本人尋問の結果により明らかである。)に対し一〇〇〇番ノ四土地の賃借権を譲渡しなければならない必要性の存したことを肯認しうる証拠はないこと(この点に関する原審における被告沖山武躬本人の供述は信用できない。)等を合わせ考えると、昭和二七年一一月一日の時点で武躬が控訴人沖山シマに対し一〇〇〇番ノ四土地の賃借権を譲渡した旨の乙第二号証の二の記載部分は果して当事者の真意に基く表示であるかにつき疑問を挾む余地があり、すくなくとも当該日付については後日遡つてこれを記入した疑いが極めて大きい。次に、乙第三四号証はその文言上昭和二八年一一月七日(本訴提起の日であること記録上明らかな昭和二八年九月一八日の後に当る。)に締結された賃貸借契約を公証するものであり、しかも契約当事者は控訴人村山および村山省次郎と控訴人沖山シマであるから、たとえ右契約が一〇〇〇番ノ四土地を目的物件とするものであり、また、契約の存続期間の始期が昭和二七年一一月一日と定められていても、該契約締結の事実と武躬が被控訴人に対し一〇〇〇番ノ四土地の賃借権を譲渡したとの事実とが直接牴触する筋合ではない。以上説明したとおりであるから、乙第二号証の二、第三四号証を以て武躬が被控訴人に対し昭和二七年一一月中旬頃一〇〇〇番ノ四土地の賃借権を譲渡した旨の前記認定を妨げる証拠となし難い。

2  公署作成名義部分の成立に争いがなく、原審における控訴人沖山シマ本人尋問の結果によりその余の部分の成立を認めうる乙第七〇、第七二号証の記載により成立を認めうる乙第三二号証は、武躬および控訴人沖山シマが控訴人村山および村山省次郎との連名を以てする昭和二七年一一月(日の記載なし)付東京都第四復興区画整理事務所長宛一〇〇〇番ノ四土地の借地権異動届である。しかし、そもそも昭和二七年一一月の時点において真実武躬から控訴人沖山シマに一〇〇〇番ノ四土地の賃借権が譲渡されたとの点については疑問があること前述のとおりであるのみならず、右借地権異動届がその日付当時作成、提出されたという心証は到底得ることができない。蓋し、もし、武躬から被控訴人に対する借地権異動届の受理(昭和二八年二月二六日。後記六参照。)以前である昭和二七年一一月当時に既に武躬から控訴人沖山シマに対する借地権異動届が提出、受理されていたとすれば、前者の受理に際し特別慎重を期した第一〇地区出張所長及川邦一としては、当然被控訴人や武躬にこの点をただし、あるいは前者の異動届を受理しないという措置に出たかもしれないに拘らず、事実はその点についての悶着はなく、前者の異動届は円滑に受理されたという実情(後記六参照)があるからである。前掲乙第七〇、第七二号証も武躬から控訴人沖山シマに対する借地権異動届提出の事実を証明するだけの文書にすぎず、いずれも届提出の日時には触れていない。従つて乙第三二、第七〇、第七二号証は武躬の被控訴人に対する賃借権譲渡の認定を左右するに足りない。

3  以上の外前記(一)(二)の認定に反する前掲乙第一〇二号証の一〇、一二、成立に争いのない乙第六八号証の一、原審証人渡辺五郎の証言により成立を認めうる乙第二三号証、原審証人葉山一夫の証言により成立を認めうる乙第三九、第四〇号証、原審証人沖山文璋の証言と本件弁論の全趣旨により成立を認めうる乙第四六号証、公署作成名義部分の成立に争いなく、本件弁論の全趣旨によりその余の部分の成立を認めうる乙第六八号証の二、三、原審証人沖山文璋、原審における控訴人沖山シマの各供述、沖山武躬の原審における本人としての、当審における証人としての供述は、前記(一)(二)の認定に供した証拠と比照して採用できない。原審証人宮城勝夫の証言により成立を認めうる乙第二八号証、成立に争いのない乙第二九号証はそれのみで前記(一)(二)の認定の妨げとならない。他に前記(一)(二)の認定を左右するに足る証拠はない。

(四)  成立に争いのない乙第六四、第六五号証によれば、武躬は昭和二八年四月二一日東京家庭裁判所において浪費者であるとの理由に基き準禁治産宣告の審判を受け、右審判は同年五月六日確定したこと、右審判の理由中において武躬は脳障碍の故に禁治産宣告をなすに値するものと推測される旨の傍論的説示がなされていること(但し右説示は武躬の心神の状況について鑑定を経てなされたものではない。)が認められる。しかし、昭和二七、八年当時において武躬が脳障碍のため意思無能力の状態にあつたとの点については適確な主張も立証もないから(前掲乙第二三号証、第四六号証はこの点を肯認すべき資料となし難い。)、前記(一)(二)認定の武躬の諸行為を法律上なんら意味ないものと断ずることは許されない。

六、地主の承諾の有無

前掲甲第二四号証、第二六号証の三、第三三号証、成立に争いのない甲第七号証に原審証人渡辺五郎、同村山節、原審および当審証人及川邦一、当審証人沖山武躬の各証言、当審における控訴人村山保平、原審および当審における被控訴人各本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。

被控訴人および武躬は前記及川出張所長に対し土地区画整理施行、処理に関する上申をした際、借地権異動届を提出するよう指示されたので(及川出張所長は前記和解契約書中に武躬が被控訴人において一〇〇〇番ノ四土地の地主と直接の賃貸借契約をなすことを承諾する趣旨の一項があり、右は実質上被控訴人と武躬間に賃借権譲渡が約定されたと解しうる表現であつたので、両名に対し、ことを明確にするため借地権異動届の提出方を指示したものである。)、昭和二八年二月二六日朴某を伴つて控訴人村山方に赴き、同人に対し被控訴人が本件換地予定地全部を使用しうるよう武躬被控訴人間において一〇〇〇番ノ四土地全部の賃借権譲渡を了したいきさつを説明した上、用意した借地権異動届(一〇〇〇番ノ四土地の借地権が武躬から被控訴人に移転したことを届出る旨の東京都第四復興区画整理事務所長宛書面)に地主の署名押印を求めたところ、控訴人村山はこれを承諾し、土地所有者欄に署名押印した。被控訴人は帰り際に控訴人村山の妻節に名義書換料の一部として一万円を支払つた。(右一万円支払の事実は金員の趣旨の点を除き当事者間に争いがない。)。被控訴人と武躬は即日右異動届を前記及川出張所長の許に提出したが、右異動届の土地所有者欄には控訴人村山の署名押印と並んで村山省次郎の氏名が記載がありながら(何人が右記載をしたか証拠上明らかでない。)その名下に押印を欠いており、また旧借地人欄の武躬の名下にも押印が洩れていた。そこで及川出張所長はその場で武躬をして右押印洩を補充させ、また、以前被控訴人武躬間に一度紛糾を生じ土地区画整理の施行に渋滞を来し、和解契約書まで作成させてあらためて協定を確認させるという手数をかけた実情を顧みて右異動届の受理に特に慎重を期し、所員渡辺五郎をして控訴人村山方に電話で省次郎の意向の程を問合わさせたところ、控訴人村山の妻節から「異動届の件は省次郎も承知している。省次郎の判はいつでも押捺できる。」旨の回答を得たので、書類の形式上の不備は他日の補正に俟つこととして、右異動届を受理した(ただし、省次郎の印は結局押捺されるに至らなかつた。)。

右認定事実によれば、控訴人村山は借地権異動届に署名押印することによつて被控訴人および武躬に対し一〇〇〇番ノ四土地全部の賃借権の譲渡につき承諾を与えたものと認められる。控訴人村山の右承諾は一面省次郎の代理人としてなした行為と認めるべきことは前記三に説示したと同様である。

成立に争いのない甲第四号証の一、二、第三七ないし第四六号証の各一ないし三、第四七号証の一、二、第五四、第五五号証の各一ないし三と原審証人村山節の証言によれば、被控訴人は控訴人村山が昭和二八年一月分以降の一〇〇〇番ノ四土地の賃料を受領しないので、昭和二八年六月二五日を初回として昭和二八年一月分以降の賃料を弁済供託していることが認められるが、該事実は右認定を左右するに足りない。蓋し、前掲甲第二号証と原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、一〇〇〇番ノ四土地の賃料は一応毎月二八日限り持参支払の約であつたが、被控訴人が昭和二六年一一月以降昭和二七年一二月分までの賃料を昭和二七年五月と一一月の二回に支払つたときも、取立にきた控訴人村山との間に賃料支払期日、支払場所に関する約定の不遵守について格別紛議を生じなかつたことが窺われ、これによれば一〇〇〇番ノ四土地の賃料については当初の約定に拘らず年二、三回の取立払というのが契約関係の実際であつて、両当事者間に賃料支払方法をこのように変更することにつき暗黙の合意が成立し、控訴人村山が前記借地権異動届に署名押印した昭和二八年二月二六日当時においては同年一月分に始まる同年第一期分の賃料について遅滞の状態は発生していなかつたと認めるのが相当であるからである。

原審における証人村山節の証言、当審における控訴人村山保平本人尋問の結果によれば、控訴人村山が賃借権譲渡に対する承諾に伴う名義書換料について相当の関心を抱いていたことが窺われ、他方、原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人ももとより前認定の一万円の名義書換料の支払を以て事足れりとは考えていなかつたことが認められる。しかし、前掲乙第五号証、成立に争いのない乙第四号証と原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、前記一万円は後日追加分を支払う含みで授受されたものであつたが、被控訴人が昭和二八年四月、控訴人村山に対し昭和二八年一月以降四月分までの賃料を支払うべく村山乙松宛内容証明郵便を以て言語上の提供をしたところ、控訴人村山が前言を飜して被控訴人との賃貸借関係を否認し、受領を拒絶したため前認定のとおり弁済供託をなし、やがて本訴提起に及んだという実情のため名義書換料の額につき控訴人村山と協議の機会を持ちえないまま今日に至つたこと、被控訴人は今なお協議支払の意思を有することを認めることができる。そして、地主が土地賃借権の譲渡に対する承諾を与えるにつき名義書換料を徴することは現在広く行われている借地慣行であることは公知の事実であるが、地主が名義書換料の額を後日の協議に譲つてまず承諾を与えることもありえない事例でないから、名義書換料の授受が完了しない以上地主の承諾の事実を肯認しえないとすることはできない。そして、前認定のような実情にある本件においては、名義書換料全額の授受が未了であるという一事を以て控訴人村山が賃借権譲渡を承諾した旨の前認定を左右することはできないといわなければならない。

以上の外前掲乙第五、第二三、第二六、第三二、第三四号証は前記認定を妨げるものではなく、前記認定に反する原審証人村山節、当審における控訴人村山保平本人の各供述は前記認定に供した証拠に照らし信用できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

七、換地処分について。

(一)  前掲甲第二四号証、第二六号証の三と原審証人渡辺五郎、原審および当審証人及川邦一の各証言、原審における被告沖山武躬本人尋問の結果によれば区画整理施行者側においては被控訴人および武躬から提出された前記借地権異動届を受理した後被控訴人をして本件(二)建物を本件換地予定地上に移転させ(武躬は既に建物移転を完了していたことは前述した。)、昭和二八年一〇月中旬被控訴人および武躬に対し建物移転補償金の残額(武躬に対しては昭和二七年一二月末頃、被控訴人に対しては昭和二八年二月中旬頃それぞれ補償金の一部を支払済であつた。)を支払つたことを認めることができる。

いずれも東京都第四復興区画整理事務所長名義の証明書として、公署作成名義部分の成立に争いがなく、本件弁論の全趣旨によりその余の部分の成立を認めうる乙第二五号証には、前記上申書(和解契約書添付)は保留中であることを証明する旨の昭和二八年九月一五日付記載が存し、公署作成名義部分の成立に争いがなく、原審における控訴人沖山シマ本人尋問の結果によりその余の部分の成立を認めうる乙第六九号証にも、右同書面は保留中であつて「借地権申告者は浅沼ふなに異動変更されていない事」を証明する旨の昭和三〇年三月三日付記載が存するが、右各証明書は、前者は控訴人等の原審訴訟代理人平岡啓道の、後者は控訴人沖山シマの各証明願の文言をそのまま承けた証明文書であつて、上申書(和解契約書添付)を保留するとはいかなる意味であるかこれを確定すべき資料を欠き、また、「借地権申告者は浅沼ふなに異動変更されていない」との点は事実に反する等不明瞭不正確な表現を含み、とうてい前記認定を左右すべき資料となし難い。

(二)  その後一〇〇〇番ノ四土地を従前の土地とし本件土地を換地とする換地処分が確定し公告を了したことは控訴人等において明らかに争わないからこれを自白したものと看做すべく、その時期は原審口頭弁論終結の日たる昭和三二年一二月二〇日以降遅くとも当審における昭和三九年九月二〇日の口頭弁論期日以前であることは記録に顕われた本件訴訟の経過により推認できる(昭和三〇年四月一日土地区画整理法施行の際現に行政庁が施行している特別都市計画事業たる土地区画整理は右同日において土地区画整理法第三条第四項の規定により施行される土地区画整理事業となるものとされているから((土地区画整理法施行法第五条第一項))、前記換地処分も土地区画整理法に依拠してなされたものと認めるべきである。)。そうとすれば、本件土地は従前の土地たる一〇〇〇番ノ四土地と看做され、従前の土地上に存した被控訴人の賃借権は当然に本件土地に移行したものとしなければならない。

八、むすび

被控訴人は従前本件換地予定地に対する使用収益権の存在確認を求めていたが、当審に至り訴の交替的変更により本件土地の賃借権の存在確認を求めるものであるところ、控訴人村山は同人に対し右賃借権を対抗しうる立場にある被控訴人の権利主張を否認していることは本件弁論の全趣旨により明らかであるから、控訴人村山に対する被控訴人の本訴請求は確認の利益を具備する。また、被控訴人が本件土地賃借権の対抗要件を具備することは叙上認定の事実から明らかなところ、控訴人沖山シマは自己が一〇〇〇番ノ四土地について地主の承諾の下に武躬から賃借権の譲渡を受けたから換地たる本件土地の賃借権を有すると称して、被控訴人の賃借権を否認していることは本件弁論の全趣旨から窺知することができる。そして、このように対抗要件をそなえる賃借権を争う第三者があるとき、賃借人が第三者との間において自己が賃借権を有することの確認を求めることを得るものと解すべきは多言を要しないから、被控訴人の控訴人沖山シマに対する本訴請求もまた確認の利益があるとすべきである。

よつて、当審における訴変更による被控訴人の新請求はこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

別紙

本件換地予定地位置図

<省略>

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